前田美千雄「フィリピン島スケッチ」
一九九五(平成七)年八月、横浜市相鉄線緑園都市駅構内にある小さなギャラリーで「戦地からのはがき絵展」という展覧会がひらかれた。東京美術学校(現・東京芸大)日本画科を卒業後、出征、召集解除、再召集の末、フィリピン・ルソン島マニラで三十一歳で戦死した画学生前田美千雄が、新妻絹子に戦地からおくった数百通の手紙や葉書のうち、絹子さん自身がえらんだ「はがき絵」百余点を公開した展覧会だった。
「はがき絵」展に出品されていたのは、どれもが水彩絵具や色鉛筆、ペンで描かれた軽快なタッチの出兵先における美千雄の「戦場スケッチ」である。
軍服姿のまま、ヤシの葉蔭(かげ)でのんびり寝転んで本をひろげている美千雄、川岸にすわって楽しげに釣り糸を垂れている昼下がりの休憩タイム、戦友と仲良く並んで銃器の手入れをしながら談笑している姿…どれもが凡(およ)そ「戦場」とは思えないのどかなふんいきをたたえたスケッチで、それぞれに美千雄の達筆なペン字の文章が添えられている。
--今日はのん気な洗タク日和、南国の風にたなびく白いフンドシが、やさしく頬を叩いてくれています。
-意気揚々、行軍の訓練を終えて営舎にもどったら、ありや、肝心要(かなめ)の鉄砲を訓練場に忘れてきた。幸い同僚が届けてくれたから良かったが、上官に知れたらコッピドク叱られただろう。くわばら、くわばら。
ただ、こうした美千雄独特のユーモアにあふれた「はがき絵」の底には、僅(わず)か二年余の結婚生活で出征せねばならなかった美千雄の、絹子へのかぎりない愛情の吐露がひめられていたといえるだろう。
何しろ美千雄が、絹子におくった「はがき絵」は、ゆうに五百通を超える数だった。一見おだやかな「戦場スケッチ」のウラには、「絹子よ安心してくれ、自分は元気だから」「かならず自分は生きて還(かえ)る。その日を絹子よ待っていてくれ」という美千雄の叫びがこめられていたのである。
一覧へ戻る