戦中戦後の体験とPTSDの症状について語る大嶺宗利さん
歴史に向き合う
「夜、眠れないときは、昔のことを考えだして、余計に眠れなくなる」。そう語るのは沖縄戦当時12歳だった大嶺宗利(おおみね・むねとし)さん(93)です。1945年3月31日。「明日、米軍が上陸する」と聞き、沖縄本島中部の読谷(よみたん)から三晩かけて北部の国頭(くにがみ)へ逃げました。
母、兄、弟と避難した山中には食料がなく「腹が減ってひもじい思いをした」と大嶺さん。ある夜、芋を取るため、2歳上の兄らと米軍の陣地に忍び込みました。そのとき、「バラバラバラッ」と機関銃で一斉射撃を受け、左足を負傷。捕虜となりました。兄は逃げ延びましたが、一緒に行った数人が即死しました。
父はフィリピンに出稼ぎに行き、戦後、引き揚げの途中でマラリアにかかり、亡くなりました。
「戦争は反対。戦争が続いていたら私は生きていなかったでしょう」と大嶺さん。「おやじは10年したら帰ると約束して行ったんですけどね…。父の顔は全然覚えてない。僕が4歳のときに別れたから」
精神科医の蟻塚(ありつか)亮二さんは長年、沖縄戦の民間被害者を診察してきました。大嶺さんが体験した母子での避難や食糧難、銃撃され捕虜となった恐怖、予期しない父との死別は「家族崩壊、不幸、喪失という巨大なトラウマ(心の傷)」だと指摘。「そういうもろもろが全部原因になって、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を形成する」と語ります。
蟻塚さんは大嶺さんの不眠について「頭が過覚醒状態にある」と言います。「脳が過敏な状態のときにトラウマ刺激が侵入してくるので、夜なら目が覚める。昼なら、知らないうちに戦争の場面を考えていた、という人もいます。恐怖体験が過去形にならないから、現在の自分に飛び込んでくるのです」
「何がトラウマ刺激になるかは、人によって違います。花火や掃除機の音が、空襲や爆撃機を思い出させて、恐怖や体の震え、フラッシュバックなどのトラウマ反応をきたす」と話します。
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