「戦争だけは絶対にしてはならない」。そう語るのは、元自民党県議で沖縄県議会副議長も務めた金城重正(きんじょう・じゅうせい)さん(95)です。20万人以上の命が奪われた沖縄戦のときは那覇市立商工学校(現在の県立那覇商業高校)の生徒でした。空襲に襲われ、本島北部の山中を逃げ、生き延びました。“沖縄保守”の重鎮に今の思いを聞きました。
前田泰孝記者
戦争で伝統行事禁止
金城さんは1931年1月、現在の那覇市具志(ぐし)で生まれました。
具志は豊かな水を生かして農業が盛んで、サトウキビ、イモ、ダイコンなどを植え、サトウキビを取った後には大豆をつくっていました。金城さんの家も農家で、客を乗せる客馬車業も営んでいました。
37年に日中戦争が始まり、平和な具志の営みにも戦争の陰が忍び寄ってきました。40年に大政翼賛会沖縄支部ができ、具志の伝統行事の綱引きもできなくなりました。
「『これは国の命令だ』と大政翼賛会の具志の青年団5、6人が綱を切り、綱引きができないようにした。それ以来、具志の綱引きはなくなった」と金城さんは振り返ります。
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