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日曜版  |  記事

「無言館」のうた 文 窪島誠一郎
第40回 海の底から「竹の子」?

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高橋英吉「竹の子」
 二○一一(平成二十三)年三月十一日十四時四十六分、東北地方一帯を襲った未曾有の大地震は、引き起こされた大津波が翌十二日、福島第一原子力発電所のメルトダウン事故を誘発、十五年近い月日がながれた今に至っても、ほんの何グラムかの「核」が抽出されただけで、凡(おおよ)そ百数十万トンにものぼる汚染水の保管タンクが辺(あた)り一面を覆っている状態にある。大震災そのものの犠牲者は一五九〇〇人、行方不明者は二五二〇人、災害関連死者三八○八人(二○二四年十二月現在)を加えれば、じつに二万二千人をこえる人々が犠牲になった。
 そして、その災害のニュースを知ったとき、筆者らいわゆる美術界で生きるだれもの脳裡(のうり)にうかんだのは、「石巻文化センター」はどうなったかという懸念であった。同センターは、宮城県石巻市南浜町の海沿いにある複合文化施設で、われわれ美術人の頭にはすぐ、同施設にその遺作のほとんどが収蔵、展示されている木彫家高橋英吉のことが思いうかんだからである。
◇ ◇ ◇
 高橋英吉もまた戦没画学生の一人にはちがいなかったが、最初の東美受験に失敗した翌年に同校の彫刻科に入学、その頃から木彫における力量は頭角をあらわしていた。県立石巻中学校(現・石巻高校)を卒業してすぐに上京、同郷出身で美校で学んでいた四歳上の太齋春夫(だざい・はるお、一九四四年七月中国湖南省において三十七歳で戦死)宅に居候する。
 英吉は美校に入ると、太齋たちとさかんに展覧会を開催(津田青楓や藤田嗣治も参加した)、また美校の卒業時には、卒業制作のため豊島区長埼の貸アトリエに住みこみ、近くにいた同じ彫刻科出の舟越保武や佐藤忠良とも交流をもった。

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