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日曜版  |  記事

「無言館」のうた 文 窪島誠一郎
第48回 ドロでだって絵は描ける

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石村日郎(靉光)「静物」
 「靉光」―アイミツともアイコウともよばれるこの画家をご存知だろうか。
 本名は石村日郎。一九○七(明治四十)年広島県山県郡壬生(みぶ)町(現・北広島町)に出生、日本近代洋画の金字塔ともいわれる名作「眼のある風景」をはじめ、「白衣の自画像」「帽子をかむる自画像」「梢(こずえ)のある自画像」の、いわゆる自画像三部作を発表して不動の評価を得た靉光は、戦前、戦中の日本洋画史に巨跡をのこした不世出の洋画家である。しかし、その靉光もまた、「戦没画学生」の一人であったことを忘れてはなるまい。
 若くして故郷を出、大阪の天彩画塾をへて太平洋画会研究所で学んだ靉光は、新進画家たちが鎬(しのぎ)を削っていた東京豊島区要町のアパート「培風寮(ばいふうりょう)」に移り住み、松本竣介、麻生三郎らといった俊英画家と切磋琢磨(せっさたくま)した。
 靉光に召集令状がとどいたのは、東京聾唖(ろうあ)学校につとめていた桃田キエと結婚し、貧しいながらも充実した制作生活をおくっていた一九四四(昭和十九)年五月のこと。まもなく中国の戦線におくられ、一九四五(昭和二十)年に第二十軍野戦貨物廠配属となり、すでに終戦の知らせをききながら、翌四六(二十一)年一月十九日、上海郊外の第一七五兵站病院でマラリアとアメーバ赤痢を併発、ついに力尽きるのである。

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