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日曜版  |  記事

歴史に向き合う
商船会社の父が小型軍艦の艇長に…
戦没者 今も30万人海の底

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「燕」の艇長だった父武雄さんの写真

「海のなかにはまだ30万の人たちが沈んでいると聞きます。父はそのほんの一人です」。吉田進さん(84)は父の命日の3月1日、沖縄県宮古島の海を訪れ、静かに手を合わせました。アジア・太平洋戦争で犠牲になった父の遺骨を捜し続けています。
 本吉真希記者

 「大事な家族が殺されるのが戦争なんです」。吉田さんは3歳で父を失い、唯一知る父の姿は仏壇のなかの写真でした。「何で僕にはお父さんがいないの」。母は幼い息子の問いに涙ぐんだといいます。吉田さんは悲しむ母を見て、それ以上聞くのをやめました。

機雷設置用の船
 父武雄さんは機雷を設置する海軍の敷設艇「燕(つばめ)」の艇長でした。34歳だった1945年3月1日、輸送船2隻を「護衛」中、宮古島の港付近で米軍艦載機40機以上の攻撃を受け、犠牲になりました。戦記『先島群島作戦(宮古篇)』は、この空襲で船団の犠牲者は推定百数十人に上ると記しています。
 父は大阪の商船会社に勤めていました。しかし41年9月、アジア・太平洋戦争の開戦前に召集され、44年2月、燕の艇長に。高等商船学校を卒業した父は、海軍予備員制度により予備士官になることが義務付けられていたのです。

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