約20万人以上の命が奪われた沖縄戦から81年。「二度と沖縄を戦場にしてはならない」と語るのは、自民党などに推され、1998年から2期8年、沖縄県知事を務めた稲嶺恵一さん(92)。あの戦争で九死に一生を得た稲嶺さんに今の思いを聞きました。
前田泰孝記者
稲嶺さんは旧満州生まれ。1943年、父の仕事の都合でバンコクから帰国の途上、乗った客船が米潜水艦の魚雷攻撃を受けました。
ボートで脱出。急な潮の流れでボートが危険水域を抜け出した瞬間、客船は海面に対し垂直に立ちあがり海中に姿を消しました。あとには手荷物などが何百と浮いていました。「あの光景は今もまぶたに焼き付いて離れない」
貨物船に救助され、台湾を経て帰国。50年、東京の高校から名護高校に転校し、おじ夫婦の家に下宿しました。ここで、沖縄戦で「やんばる」(本島北部)を逃げ回った祖母とも同居しました。
祖母は、沖縄戦での疲労、栄養不足、心労が重なり自分では起き上がれない体になっていました。仕事が忙しいおじ夫妻に代わって、稲嶺さんが夜間は介護しました。
稲嶺さんは「祖母の姿を見ると『戦争さえなければ』と、とてもつらい気持ちになった」といいます。
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