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日曜版  |  記事

「無言館」のうた 文 窪島誠一郎
第35回 出征も「飛び級」だった

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永江千秋「奈良唐招提寺」
 今でもそんな制度があるのかどうか知らぬが、戦前戦中には学業優秀な生徒にかぎり、小中学校を一学年飛びこえて進級させるシステムがあった。
 永江千秋は日本大学第二中学校に在学中から「学内きっての秀才児」として知られ、その「飛び級」制度によって小学校を五年で修了、中学に入ってからも特別編入の扱いをうけて横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)に進学、志望した建築科はもちろん「首席」で卒業した。在学中にうけたテストは、すべて「百点満点」だったというから、その秀才、神童ぶりがいかばかりだったかわかるというものだろう。
 その千秋が、学業のいっぽうで飛びぬけた才能をもっていたのが「絵」の世界だった。とりわけ神社仏閣、仏像や寺院の表現に長(た)け、建築を学んでいたこともあって、その描写力には他の者を寄せつけぬものがあった。

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