大谷元(はじめ)「妹像」
前の宮地英郎の章(第36回)のときにも書いたが、戦争中に美校を繰り上げ卒業し、戦地に駆り出されることを余儀なくされた画学生のなかには、大量の醤油(しょうゆ)を飲んであえて身体(からだ)を壊したり、絶食して体重をへらしたり、知り合いの医者に頼んで大げさな病気の証明書を出してもらったりして、懸命に兵役を回避しようとした画学生も少なくなかった。かれらにとっては、絵筆を銃にかえて戦場に向かうことよりも、祖国に残って「一人前の絵描きになりたい」「もっと絵が上手(うま)くなりたい」という希(ねが)いのほうが何倍も強かったからである。
そうした点でいえば、ここに登場する大谷元(はじめ)ほど、出征をのがれるチャンスをあたえられた画学生は少なかったろう。
大谷元の生家は西本願寺で、長男の元は同寺の末裔(まつえい)にあたった。父の大谷尊由(そんゆ)は僧侶としても信頼が厚かったが、いっぽうでは拓務大臣(植民地の統治や移植民などに関する行政を司っていた大臣)までつとめあげた政治家でもあった。そうした家柄や血筋を利用すれば、いくらでも兵役をのがれるすべは元にはあったはずなのである。
だが、元はそうした兵役回避の道をえらばなかった。
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