畑田一燈之「古木」
「古木」と題された絵だが、描かれているのは地中の生命源をリンリンとみなぎらせ、まるで仁王像のようにたくましい腕を組んだ一本の樹像である。はるか遠くに連らなる幾重(いくえ)もの山げしきとは対照的に、その枝々にひめられた躍動感は、一人の人間の生の迸(ほとば)しりをみせるかのようだ。
この絵を描いた畑田一燈之は、入学した多摩帝国美術学校(現在の多摩美大の前身)の西洋画科には病弱のためほとんど通うことができず、僅(わず)か一ヶ月ほどの徴用後、二十二歳で肋膜(ろくまく)炎の悪化によりあっというまに世を去った画学生だ。病状がいくらか好転していた多摩帝国美術学校在学時には、すでに扶桑(ふそう)会創立展に出品して三回連続で入選を果たし、その絵の実力は周囲のだれもが認めるものであったという。
そして、そんな一燈之の才能を早くから見ぬき、育てあげたのが、あの日本近代洋画の礎(いしずえ)をきずいた洋画家の安井曾太郎(そうたろう)だった。終生弟子をとらぬことで有名だった曾太郎が、生涯で唯一アトリエへの出入りを許し指導したのが、まだ十歳になったばかりの一燈之少年であったという話は広く知られている。
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