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日曜版  |  記事

戦後80年 満蒙開拓
加害と被害 苦しみの大地
中国侵略の一環 住民追い出し田畑強奪

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最終的に約1100人にもなった水曲柳開拓団員(1943年頃)

幼い我が子を亡くし 妻につらい思いをさせ “自分たちだけ幸せに”が不幸の始まりだった
長野・阿智村の記念館訪問
 全国から約27万人。13年しか存在しなかった日本軍部による、かいらい国家「満州」に渡った満蒙(まんもう)開拓団の数です。中でも長野県は約3万3000人と突出しています。満蒙開拓とは何だったのか。伊那谷・阿智村にある満蒙開拓平和記念館を訪ねました。
 板倉三枝記者

 記念館は伊那谷の広大な自然に溶け込むように建っていました。
 2013年に開館。市民の手で足かけ8年かけてつくられた民間運営の施設です。豊富な資料と証言記録で満蒙開拓の全ぼうを「被害」と「加害」の両面から伝える記念館は、平和の発信地として、これまで全国から約26万人が訪れています。

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